【適応障害】休職中の過ごし方から回復まで
こんにちは、ピヨです
今回は、適応障害と診断された私の「休職中の過ごし方」についてお話しします
(休職に至るまでの詳しい経緯については前回のブログをご覧ください。)
産業医に「2ヶ月休みましょう!2ヶ月経った頃にまた連絡します」
と言われ、面談の翌日からお休みすることになりました
休職期間の給料についてですが、
会社自体はホワイトなので、半年間は休職しても会社から満額給料が出ます
これはとってもとってもありがたいです
なのでこの貴重な休職期間は、お金や将来の心配はせず、徹底的に自分を癒そうと思いました
休職が終わるまで以下に様子を綴っていきます
休職1ヶ月目
- 生活リズム
昼夜逆転してました
夜中からアニメを見始めて、朝方に就寝
昼の12時に起きるという廃人みたいな生活を送っていました
生活リズムが崩れると、精神面もぶれてくるのでおすすめしません
- 過ごし方
休職し初めてから1週間後に実家に帰り、引きこもってました
やることといったらアニメを見たり、料理をしたりするくらいです
こんなにダラダラできるのは学生の時以来だったので割と幸せでした
久々に家族とも過ごせてだいぶ気晴らしになりました
- メンタルの様子
今まで我慢してきたことが溢れかえってきて、休職してから3日くらいは枯れるまで泣きました
悔しさが込みあげてきた結果です
将来への不安で一番絶望を感じていた時期でした
- 人間関係
まず、外界から存在を消したかったのでInstagramのアカウントを停止しました
他の人たちの楽しそうな写真を見ると辛くなってくるからです
(治ったらまた再開する予定)
ちなみにこの1ヶ月間は、一回も友達と遊びませんでした
遊びたいという気持ちが芽生えなかったです
心配して連絡をくれた友達には、正直に今の現状を伝えました
休職2ヶ月目
- 生活リズム
昼夜逆転が続きました
- 過ごし方
実家でのニート生活に飽きてきたので東京に戻り、一人暮らし生活を再開しました
料理したり、アニメ見たりというグダグダ生活は実家の時から継続したままで、少しずつ友達と遊ぶようにもなりました
- メンタルの様子
2ヶ月目になってから上司からの近況確認連絡が来たとき、メールを返すのがダルかったです
ビジネスメール特有の敬語を考える作業が1番苦手、、、
仕事のことも思い出す作業だったので、苦痛でした
また、仕事のことを思い出すと目がうるっとくることがたまにありました
- 人間関係
徐々に学生時代からの信頼してる友達には会えるようになりました
しかし、大人数の飲み会はどっと疲れるので断るようになりました
また、ある日同期の人たちと久しぶりに遊んだ時に、なぜかまた泣きそうになりました
同期は何も悪くないのですが、私が勝手に仕事のことを思い出してしまったのです
ちょっとした人からの言葉の刺激にすぐ反応するようになってます…
産業医面談
休職から2ヶ月経ち、産業医面談がありました
本当はこの面談の後、次の日から職場復帰するはずでした
しかし、面談で産業医の人に
「あなたは今の会社に合ってなさそうなので、転職した方がいいかもしれません。もう1ヶ月休んでみて、よく考えて見てください。会社の方には上手いこと言っておきますので。また、休職期間延長の条件として、復職支援施設に通ってください」
と告げられました
私は復帰する気満々だったので、驚きました
ということで、
休職期間延長+リワーク通いが決定しました
社会復帰するのはまだまだ先になりそうです
休職3ヶ月目
- 生活リズム
リワークが始まったので平日は規則的な生活ができています
といっても朝10時に起きて、夜は夜中2時くらいに就寝してますが(笑)
- 過ごし方
復職支援プログラムが始まりました
活動は、月曜日から金曜日の11時〜16時までです
「活動頻度多いな!」と思うかもしれませんが、
少しずつ生活に負荷をかけないと社会復帰が難しくなるそうです
週に2日は対面でワークを受け、残り3日は在宅でちょうど良いです
夕方は1人でカフェに行ったり、本屋さんに行ったりしてのんびり過ごしてます
夜は家に帰って自炊してます
- メンタルの様子
すぐに涙が出ることはなくなり、国内旅行やお出かけを楽しめるようになりました
将来に関しても前向きに捉えられるようになりました
- プライベートの人間関係
友達たちが気を遣って誘ってこなくなりました(笑)
なので最近は一人で過ごすことが多いです
これはこれで好きです
まだ完治していないですし、もっと元気になったら友達に会いたいなと思ってます
こんな感じで過ごしております
月日が流れるごとにこのブログは更新していきます
最後まで読んでいただきありがとうございました